人と比べるって、そんなに悪いこと?

《この記事はこんな人にお薦め》

  • 人と比べて落ち込んでしまう
  • 比べてしまう自分に疲れる
  • 人と比べず自分らしく生きたい

【結論】くらべることは比べることは悪いことではない

思春期に突入した時期から、私はいつの間にか人と自分を比べることが当たり前になっていた。それが原因で自身の性格や学力、容姿に対し、悩み葛藤することが増えた。

そんな私が、今、出した結論は人と比べることは悪ではないということ。

人は自分と他人を比べた上で、はじめて自分の”個性”や”特長”を自覚することができる。いわゆる自分らしさとはなにか、それを探求する上で必要不可欠なことなのだ。それ故に「人と自分を全く比べない」ことを目指すのは、むしろ勿体ない事なのではないかと思う。

問題なのは、人と自分を比べた後に自分で自分を卑下してしまうこと。本記事では、他人と比較しがちな人の特長や、自身を卑下してしまう原因、最後にその対処方法を綴っていく。

自分と他人をよく比較する人の特長

鋭い観察力がある

人と比べるということは、周りの人の行動や発言をよく見て聞いているという証拠。周りの人をよく観察していなければ「比べる」という行為自体が成立しない。

中でもこの記事を見てくださっている貴方は、人の優れた点や長所に気づくことが多いはず。生活の中で”この人ってここがすごいな””こんな所が魅力的だな”と感じることが多いのではないだろうか?

実はそれ、人としてとっても素敵な才能なのだ。友人や同僚の長所を挙げてみてと言われ、すぐに答えられる人はそう多くはないもの。また他人の優れた点に気づくと言うことは、自分にとっての成長のヒントを発見できているということでもあるのだ。

向上心が強い

誰かと無意識に比べているとき、多くの人は心のどこかで”もっと成長したい”“もっと幸せになりたい”といった深層心理が働いている。言い換えれば、今の自分よりもよりよい状態になろうと『生命力』が燃えている状態である。

メラメラと燃えている人もいれば、じりじりと音を立てず、けれど誰より熱い青い炎を燃やす人もいる。

つまり、自分の人生に対して諦めず、野心・向上心があるからこそ、より良い自分になるために必要なモノはなにか、常に周りにアンテナを張って吟味しているのだ。そうすれば、いざ自分が本当に必要とする物事を持っている人に出会ったとき、学ぶという行動に移しやすくなる。

必要とするモノ、それは語学力かもしれないし、仕事を容量よく終わらせる能力かもしれない。また時には起業してお金を稼ぐ方法や、あざとさなんかかも。

自分と向き合っている

人と比べるとは、他人をよく見ているだけではなく、他人という鏡を通し自分を向き合っているということでもある。

たとえば仕事中”この人は私よりも説明の仕方が上手だなあ”と関心したとする。その時点で貴方は相手の説明が分かり易いという長所に気づきながら、自分の説明の仕方はこうである、という風に自らを客観的に振り返っているのだ。

自分の今の現状を客観的に捉えられているからこそ、相手と自分の間にある差を瞬時に感じとことができる。よく比較してしまうといっても、場合によってはただ無い物ねだりをしているのではなく、そのような高い分析力ゆえの性だともいえる。

人と比べて自分を卑下してしまう原因

冒頭でも言った通り、自分と他人を比べることは全く悪いことではなく、むしろ裏を返せば強い向上心や優れた観察眼を持つ故の性ともいえる。それ故に人と比べる性格を自分の中から抹消しようとする必要はなく、むしろそんなことをするのは勿体ないと筆者は考える。

何より重要なのは、人と比べた後貴方は何を感じ・得るのかという一点だ。人と比べることで悩んでいるという人の大半は、比べた上で自分を必ず卑下してしまっている。例えば”この人はリーダーシップがあるな”と感じる一方で”私は皆をまとめる力が足りないから劣っているんだ”という具合に、人の長所を見つける度に自己否定に走り、いつのまにか勝手に気分が沈んでいってしまう。

原因は大きく2つ

ひとつは向上心が強いが故、分に対してどこか理想を押しつけてしまっている状態でもあること。もうひとつは、自分が大切にしている価値観や目指している将来像が曖昧な状態だということ。

人と比べて落ち込みそうになった時の対処法

人の長所を自己成長のガソリンに転換

他人の姿を見て、自分の現実と理想のギャップに直面したとき、このように考えてみるとすればどうだろう。

”この人はリーダーシップがあってすごいなあ。どうやって人をまとめているのか、行動や発言を観察してみよう。良いところを吸収して、次回私も真似してみよう”

このように、自分の足りなさを決して否定するのではなく、自分の伸びしろに気づかせてもらった、成長の糧をもらった、そう考えを転換してみるのはどうだろうか。

今まで生きてきた十数年間、数十年間、貴方と他人は似て非なる人生をいきてきたのだ。お互い磨いてきた個性や長所は違うに決まっているし、違うからこそ、私や、あなたらしさが輝きを増していくのだと思う。

自分が大切にしていることを思い返す

人と比べる人の特長で、分析力や向上心の高さ故に周囲の”優れた点”に対する感度が高いことに触れたが、一方発見した全ての人の長所や特技が、貴方の人生にとって本当に必要かどうかは必ずしもイコールではない。

そこで、悩んでいる私に一番よく効いたのは『自分の本当になりたい姿、目指している目標をもう一度思い返すこと』

貴方が比べてしまったあの人と、貴方が目指しているゴール・理想の将来像は全く同じなのだろうか。同じサークル・クラス・職場で生活し、一見似たような環境で過ごしていたとしても、ひとり一人の理想とする人物像や将来の夢、目標が完全に一致することはないだろう。

出発点が同じ一点だとしても、360°あらゆる方向に向って矢印がむいている。そんな画を想像して欲しい。異なる方向を向いている矢印。長さを測れば、むりやり順位を付けることは難しくないかもしれない。ただ、その矢印が目指すゴールはどこなのか、たとえ長さは同じでも、目指す場所が違うと思えば、そのような比較がいかに無意味かどうかが分ってくるのではないだろうか。

それはまるで異なる目標や夢をもった世界観の違うジャンプ漫画の主人公たちに、強さの優劣をつけていく違和感とも似ている。

自分自身が大切にしたい価値観や目標がはっきりしていれば、他人の長所はあなた自身の目標に近づくヒントとなり、自分の味方になってくれるのだ。

まとめ

比べることをやめる必要も、そして自分を卑下する必要も決してない。

誰かと比べ過ぎてしまい疲れてしまうときは、心も体もムリをせず、そっとその場を離れていい。

沢山の情報に溢れるこの世の中で、今の自分が本当に求めていることはなにか、必要なことなはなにか。

そう自分の心と向き合う時間を大切にしてみて欲しい。

こんな記事をかきつつ、筆者は今でも人と自分を比べ、落ち込むことが度々ある。

でも、きっと今はそれで良いのだ。”あ、私いま気持ちが沈んでる”そう気づいたとき、ふっとその場から離れ、数分、数秒、一瞬でもいい、自分自身と対話する。

その繰り返しをすることで、きっと私たちは、自分の心をと向き合う達人になっていくのだろう。

cocona

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