最近世間を賑わせている、小学4年生の少女がお母さんの勧めで二重整形を行ったというニュース。
先日私が見かけたニュースでは、ある特定の親子に取材をしており、お子さんの顔だけを隠しながらインタビューを終始行っていた。
そのお母さんが語るに、多くの人から「虐待だ」とか「子どもが可哀想」という批判的な言葉を受けているそう。正直予想通りというところだろうか。
私も、小学生のうちに二重整形をするにははまだ早いと思っている。
いや、正確に言えば、するかどうかの判断をするにはまだ早い、と思っている。
というのも、二重整形という後戻りできない施術(埋没や切開など方法にもよるが)を判断するには、まだ見ている世界が狭すぎると思うからだ。
ここからは少し、万年一重である筆者の話に移る。
私自身、小さい頃からずっと一重瞼。容姿を気にかけはじめた中学校の高学年のころから、二重の人に対し“劣等感”を感じるようになった。
実際一重と言っても一様ではなく、一重の人もそれぞれ異なる悩みを持っている。
私の場合、目が小さいと言われる事はあまりなかったが、二重の子と比べるとやはり真顔の目つきが鋭く見え、いわゆる流行りのアニメや漫画のキャラクターのようなキラキラさがないことに不満を感じていた。
また、私の学年で“可愛い”と言われる人の多くはぱっちり二重の子が多く「二重=可愛い、美人」という方程式が私の価値観の中で絶対的なものとなっていった。
それから高校に入り、アイプチをしはじめた。
手軽に憧れの二重にできることが非常に嬉しく、毎朝人より準備に時間がかかったり、時に瞼が荒れてしまうらことが難点だったが…それでもぱっちり二重にした時に湧き上がる自信と安心感に比べたら、正直苦でもなんでもなかった。
そんなアイプチ命だった私に転機が訪れたのは他のでもない『海外留学』である。
私が留学したのは中国。留学当初はもちろんアイプチを手放すことはなかったが、最初は中国の気候が合わず肌が荒れてしまったことがきっかけに、肌休めとしてアイプチを休止した。
アイプチをやめて学校にいくという事は、当時の私にとってはかなり勇気のいる行動であったはずだが、留学中はそういった抵抗感があまりなかった。
なぜなら、クラスメイトの顔の造形が全く持つて違ったからだ。
中国留学といっても語学留学だったため、私のクラスにはアメリカ、イタリア、南アフリカ、ペルー、ウズベキスタン、韓国…と中国語を学ぶために世界各国の青年達が集っていた。
このような環境で過ごす中で、誰が二重だ一重だと比べることは自然となくなっていった。
またある日クラスメイトに「いつか二重にしたい」とポロっと言ったところ、「どうして?!もったいない!!」と本気で反応されたこともあった。海外の友人の言葉には、日本人同士でいう「一重もいいじゃない」とは全く異なる真の想いがあるように感じ、説得力があった。
このような小さなワンシーンの積み重ねから、一重というのは世界的に見てもアジア人ならではの『美』であるとすら思えるようになっていったのだ。
現に最近はKpopアイドルが全世界的に流行する事で、韓国アイドルの綺麗な一重に憧れ、一重整形を試みる欧米人も出て来たという話もある。
このような経緯と長い葛藤の末、今の私は「一重のままでいる」という選択をしている。
このように、日本人学生が見える世界はまだまだ狭いことが現状だと思う。いくら“多様性”の大切さを叫んだところで、実体験を通さなければ、自分がその多様性と呼ばれるひとパーツで、リスペクトに値する個性を持っていることを実感するとは非常に難しいと感じる。
大袈裟に聞こえるかもしれないが。これの課題はやはり、長年島国として発展してきた日本という国の大きな宿命だと思う。
私個人の話しがながくなってしまったが、今回話題になったお母さんも、小さい頃に`一重であったことが原因で、かなり外見コンプレックスに悩まされて来た人生だったと話していた。
自分と同じ一重の遺伝子を受け継いだ子供に、自分と同じような苦労や、悲しい思いをさせたくない。そう真摯に語っていた。
また子供自身も、(整形した)母の目に憧れており、こんなふうになりたいと思っていた、と。
ここまでのインタビューを聞いた私は、その子が今後成長し、顔の皮膚が伸びたり突っ張ったりしないのか…という点だけが地味に最後まで気になったが、それ以外に関しては、もう世間がどうこう意見する話ではないと感じた。
そこには虐待心ではなく、母親が心底子供の幸せを願う想いがあるのが間違いないと感じたからだ。
ただ、今後やはり危惧していくべきは日本で加速するルッキズムの存在である。このお母さんも、日本社会全体のルッキズムに振り回されてきたが故、今回のように子供がもう少し成長し、様々な経験をしてから判断させることをせず少々急いだ選択に至ったのではないかと思うからだ。
ここで特筆しておきたいのは、筆者は整形反対派ではないということ。むしろ長年のアイプチによるたるみが気になり、いつか奥二重手術をしたいと思っているし、インスタなどsnsを介してルッキズムに振り回されている一般人である。
問題なのは「二重じゃないと、可愛くない」「目がぱっちりしていることが、良い」と言った「美」の概念が画一的なものかつ、外見的なことのみを指すような風潮が社会に広がってしまうことなのではないだろうか。
そしてその社会の風潮に当てはまらない人が劣等感を感じるようになってしまい、世間のいう「可愛い」に多くの人が合わせていく。それではいち社会として、あまり味気がない。
自分自身で「内・外面での美しさの軸」をしっかり考え、今の自分が心から輝ける選択肢を自由に選ぶ。そして他者の個性や選択肢を尊重できる。
そんな人に、まずは自分自身がなって行きたい。そう考えさせてもらえたニュースであった。
https://toyokeizai.net/articles/-/502280(参考;東洋経済オンライン)