自信を持つって、そもそもなんナノ?
歌の歌詞や、顔も思い出せないようなどこかの誰かの言葉、あるいは大切なひとから「自信をもって」と言われたことが、必ず誰しも一度以上はあるんじゃないでしょうか。また、自分からそう声を掛けたこともあると思います。実際私は「自信持って」と言あれるとすごく励ましになるし、”そうだ、へこんじゃいられない!”と勇気をもらうこともあります。”ありがとう”と同じくらい、言われて嫌な人は居ないんじゃないでしょうか。
そもそも自信って、「自分を信じる」とかきますよね。自分の何を信じるのか。それは場合によってはその人がその日まで必死に積み上げてきた”努力”であったり、周りのひとが認めるような”才能”、またまだ生命の奥底に眠っている”可能性”かもしれません。
ただ、私が漠然と、人生規模で自信がないと感じていたのは、過去の自分の努力や才能、拓けた可能性の一瞬一瞬の存在を、認めることなくきてしまっていたからでした。
自信を持つには、まず過去の自分を認めてあげること
「自分を認められない」そんな自分の性格が如実に出た、ハッとしたできごとがありました。大学での部活の練習中、リーダーがグループに集合をかけました。そして「現状の出来は何%くらいだと思う?」と、やや神妙な面持ちで問いかけます。雰囲気を見計らったひとりのメンバーが「60パーくらい、、、ですかね。」と弱々しい声で答えました。重たい雰囲気と沈黙が漂うなか、私の頭は”まだまだ練習しなきゃ。集中力が足りてないんだ、、、””今日までもっともっと全力で出来たんじゃないか?”と自責モードであたまが一杯でした。するとリーダーがゆっくりと話し始めました「こういうとき多くの人は、60%”しか”できていない、と残りの40%にしか意識がいかない事が多い。だけど、60%”も”ゼロから成長し、努力を積み上げてきた事実を、決してわすれちゃいけないよ」
この考え方は、私の人生にとって衝撃的でした。私は今まで、たとえ当時どんなに自分なりに努力していても、良い結果を残せなければそれは残念で、むしろ恥ずかしい記憶でしかありませんでした。どんなに「才能だねえ」と褒めてもらえるような長所があっても、”そうはいっても、私よりも上がいるから”っという理由で、自分を認められなかったのです。
「今の自分に自信がない」という状態は、過去の自分の行動や努力、挑戦したこと、または後悔や短所を含めたあの頃の自分を、「認められない」というところからきていました。
本当の自信は、人と比べていては手に入らない
私は、自信を持つ方法は2種類あると思ってます。1つは人と比べた上で得られる自信。たとえば成績順位や大会順位など。日本、、、と言わず、人間は競争ごとが大好きですから(不本意ながら私もです笑)順位を目安にしてしまえば、分かり易く自信をもつきっかけになりえます。
もうひとつは、自分の価値基準と見比べた上で得られる自信。たとえば、私が中国へ留学していたときのこと。私は2年間中国語を勉強して臨んだのですが、自分でもびーーっくりするほどまあ喋れない。聞き取れない。あげくに今日寝る部屋もない。なんて最悪のスタートでした。たぶんタクシー代も多く取られてたなあ、今思えば、、、笑。幸い中国語がわたしより特段上手な同世代の日本人と出会い、沢山助けてもらいました。このお話を聞いて予想できると思いますが、私はその友人と自分の能力の差を比べ、一気に自信を失いました。私いままで何を勉強してきたんだろう。。。
でもそうじゃない。私がすべきはその人と比べることではなく、ほとんど喋れない状態でも勇気を出して留学を選んだこと、危機的状況で自分の味方になってくれる人えお見つけ、仲良くなれたそのコミュニケーション力、帰りたいと泣きわめかなかったメンタル!!!・・・だったんです。これは過去の自分、昨日の自分と比べて少しでも前に進んでいる。その事実をしっかりとみとめ、褒めてあげる。その繰り返しが自信になっていきます。このような培った自信は、ちょっとやソットじゃ崩れません。だって、確実に過去の自分よりは成長しているんですから。
私はこの後者の自信を、どんな状況でも決して揺らぐことのない「本当の自信」だと思っています
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